淇園先生のこと(その1)

人物

はじめに

今は昔、習字の塾に通った頃の話。私はそろった字が好きで、半紙にエンピツで線を引いた後、墨で字を書いて、墨が乾く頃に消しゴムで線を消すという自己流が得意。そんなある日、先生が私の「作品」を手に取ります。

先生:   「ほう、キミはなかなかしっかりした字を書くねぇ」

私:       「はい、まっすぐに字を書くのが好きなので」。

・・・と喜んだのもつかの間、文字をジッと見ていた先生、うっすらと残ったエンピツの線を見つけてしまいます。

先生:   「ハハハ、線を引くのはダメだよ」

私:       「でも、線がないとまっすぐに書けないし・・・」

先生:   「稽古をすれば、自然にまっすぐにかけるようになるさ」

練習の後で、先生は「キエンの書だよ、線は引かずに書いた字だ」と言ってお手本(原本は奈良県立美術館蔵)を見せてくれました。なるほど、きれいにそろった美しい字が並んでいます。すごい!

墨跡(一部)
(奈良県立美術館蔵)

このお手本を書いたのが、今回の主人公、柳沢淇園(やなぎさわ きえん)です。

彼は江戸時代中期の武士[1] 1703-1758、柳沢吉保の家老 柳沢安保の次男。江戸生、後に甲府、大和郡山に住む。柳里添とも称す。。もちろん、単に字が上手い武士というだけではありません。美しい絵も描くし、琴を弾き笛も吹き作曲もする。剣の達人で、中国の思想からインドの哲学まで語ります。「人の師たるに足れる芸十六に及ぶ」[2]判高蹊ほか 『近世畸人伝』(東洋文庫202)。とされた天才。しかも柳沢家のおぼっちゃま育ちで、相当な遊び人です。

それでも「キエンって誰?」と思う方は多いと思います。そこで今回は彼の紹介も兼ね、私の好きなこの教養とビジネスマインドに溢れた人をテーマにすることにしました。

「その1」「その2」としばしのおつきあいをお願い申し上げます。

書からビジネスの話へ

私が習字の塾に通ったのは小学生の頃でした。その後、淇園のことはすっかり忘れていたのですが、ビジネスの世界に入ってから、偶然、大阪の図書館で彼の手紙に出会います。「おっ、懐かしいキエンだ、これも線はナシだよなぁ」と感心しつつ手紙の解説を読んでみると、何やら面白そうなビジネスの話です。

香弁上人宛書簡(一部)
(大阪府立中之島図書館蔵)

内容は「ある計画を手伝おうと保証金集めを手伝いましたが、上手くいかず、私の出したお金も戻ってきたので、家族の供養のためにお寺に寄付をさせて下さい」といったもので、菩提寺の住職宛に書かれています。

ある計画というのは、今日「播州但馬通船計画」と呼ばれるもので、簡単に言えば、大坂を出た北前船の経路を門司廻りとせず、(下の地図のように)兵庫県内の河川を利用し、瀬戸内海側(姫路)と日本海側(豊岡)をつないでショートカットするもの。これで、コスト、時間、リスクが減らせます。実現には至りませんでしたが、スエズ運河みたいで、現代にも通じるビッグビジネスです。


播州但馬通船計画(航路全図)
赤い線の部分でショートカット
(日本海事広報協会の資料より加工
)
播州但馬通船計画(兵庫県部分)
河川の間(赤丸部分)を陸路でつなぐ
(「47都道府県あれやこれや」掲載の地図を加工)

人脈豊かだった淇園は、地元の人に支援を頼まれて資金集めに奔走したようですが、彼は大和(現在の奈良県)の在。直接の利害はありません。それでも「人民の悦び、天下の大益」[3]香弁上人宛書簡」より。 を思ってこの計画に手を貸したようです。

面白いオトコがいるものです。このあたりから、俄然、興味がわいてきて「キエン」は「淇園先生」に昇格、関連の文献漁りも始まりました[4]司馬遼太郎のエッセイ集『余話として』(文春文庫)に淇園先生の話が出てきます

絵の話

さて、ここからは絵の話。下の絵、『蘭花果実図』(大和文華館蔵)は淇園先生の著名な作品ですが、前述の通り、先生は風雅を知る遊び人でもあります。添えられた詩(これもまっすぐ)を読んでみると、誰かに宛てた絵付きの恋文らしい(勝手な解釈をすると、専門家のみなさまにトヤカク言われそうですが)。

蘭花果実図
(個人蔵 『特別展 柳沢淇園』大和文華館より転写)

詩の第三句(二行目の頭)、「暁来弄筆為君畫」は「夜が明けて(暁が)来たので、筆をとって(弄筆)君のためにこの絵(畫)を描いています」という意味でしょう。次の最後の句、「窓裡自聞王者香」、「窓の中には、花の王である蘭の香りがあふれているようです」へと続きます。この一幅、相手を蘭の花に例えて、蘭の絵に文を添えるという、センスの良い告白かと[5]相手は弟子の「奴の小万」?松井今日子『奴の小万と呼ばれた女』の書きぶりは違いますが。

このあたり、「淇園先生、やるなぁ」と勝手に思い込んでいる次第。

因みに、彼は書画共に道具に凝る人で、特に色彩についてはかなりマニアック。さらに、絵具にも工夫があり、水に浸してもみ洗いをしても脱色しないとあります[6]判高蹊ほか『続近世畸人伝』(東洋文庫202)

と、ここまでなら普通の粋人の話になってしまうのですが、淇園先生は一枚上手です。

・・・続きは「その2」に掲載の予定ですので、まずはお楽しみに。

暫し、皆さまご機嫌麗しく。


References

References
1 1703-1758、柳沢吉保の家老 柳沢安保の次男。江戸生、後に甲府、大和郡山に住む。柳里添とも称す。
2 判高蹊ほか 『近世畸人伝』(東洋文庫202)。
3 香弁上人宛書簡」より。
4 司馬遼太郎のエッセイ集『余話として』(文春文庫)に淇園先生の話が出てきます
5 相手は弟子の「奴の小万」?松井今日子『奴の小万と呼ばれた女』の書きぶりは違いますが。
6 判高蹊ほか『続近世畸人伝』(東洋文庫202)

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