桜田門外のコーポレートガバナンス(その3)

人物

「その1」「その2」でお話しをしてきましたが、代表取締役社長の持つ権限は大老のそれとあまり変わりがありません。課題は、その人物を牽制ができるシステムがあるかどうかです。「安政の大獄」の場合は、将軍の家茂が「直弼、しばし待て」と言える人であれば、大老にもブレーキがかかったでしょう。

では、今日の代表取締役社長には、誰がそのブレーキになるべきでしょうか(写真は豪徳寺にあるたくさんの招き猫[1] 彦根藩2代藩主の井伊直孝が門前を通った際、一匹の猫に境内に招かれた(と思った)ことにより、雷雨を凌ぐことが出来たことに由来します。


近年のコーポレートガバナンス

昨今、コーポレートガバナンスに関する課題を最初に提起した人の一人に、英国のエイドリアン・キャドバリー[2] 同名のチョコレートメーカーであったキャドバリー家の出身。後にキャドバリーシュウェップス社の会長を務めました。という人がいます。彼が中心となってまとめた「キャドバリー報告書」[3] 1992年、多発する企業の不祥事に鑑みて公表されたコーポレートガバナンスに関する報告書。によると、コーポレートガバナンスの目的は「何人といえども、一人の人間が制約のない決定権を持つことがない状態を維持すること」[4] 前述の報告書にある「最善慣行規範」の示すところです。となっています。独裁を否定しているわけではありません。それで問題のない状況であれば、経営者の裁量に任せるべきであるとしつつも、もし経営に(法的な問題はいうまでもなく)社会常識を外れる兆候を認めたならば、経営に制約をかけるシステムが必要であり、それこそが株主の代表である取締役会の役割ではないのか、とキャドバリー卿は問いかけているのです。

一方、日本では、多くの株式会社で経営者が取締役を兼務してしまうので[5] 会社法(362-2)が、業務執行の決定を取締役会の仕事にしているので、無理もない話なのですが。、取締役会が経営者を牽制しにくい状態です。「内部出身である代表取締役社長に権限が集中し、内部の取締役が牽制機能を果たせないようでは困る」[6] 「伊藤レポート」p.6。ということでしょう。さらに、本来、一人ひとりが平等であるはずの取締役会に、専務とか常務といった経営上の序列まで持ち込まれているので[7] 本来、取締役会における一票は平等であるはずです。、「代表取締役社長は独裁者ではないか」と「その1」に登場したアクティビストからイヤミを言われる状態でもあります。


コーポレートガバナンス改革

幸い、近年のいわゆるコーポレートガバナンス改革[8] 安倍政権時代の2014年から、関連する取り組みが進められています。に沿って、社外から取締役を招致・選任して[9] 2022年末現在、取締役会のある会社は3名以上の社外取締役がいなければなりません。、監査や経営者の人事・報酬に社外の声を反映させようとする動きが始まりました[10] コーポレートガバナンス改革で、監査等委員会設置会社など新しい会社の形が認められています。。それでも、オトモダチを社外取締役に据えて、カタチだけは整えようとする経営者がおられるようですが、外部の意見に叩かれてこそ立派な経営者が生まれるのではないかと思います。

何年か前のことですが、米国のビッグスリーの雄であるゼネラルモーターズのメアリー・バーラCEO[11] 1961年生まれ。2014年からゼネラルモーターズのCEOを務めています。もちろん女性です。が、会議の後でこんな一言をこぼしていたのを聞きました。「ウチの取締役会なんか、私以外は全部、社外取締役よ・・・」。この後の言葉は聞き漏らしてしまいましたが、話の相手は日本のメーカーの社長ですから、想像するに「そちらと違って、私の意見を通すのは大変!」ではないかと思います。毎回、重箱の隅ばかり突っつくだけの取締役会では困りますが、重要な課題が出てきた時には、経営者に「ノー」と言ったり、的確な助言ができる取締役会があれば「安政の大獄」は起きようがありません。

近年、取締役は株主の代表であるとともに、社会の目であることも期待されています[12] 会社はそのステークホルダー(利害関係者)のために経営されるべきという考え方から来ています。。戦後の復興期や高度成長時代に「主取引銀行と社長による統治が機能した」[13] 蛭田旭化成元社長。日本経済新聞 2017年10月16日付。ことで形骸化したような日本の取締役会ですが、コーポレートガバナンス改革が叫ばれているこのあたりで、取締役、取締役会の存在意義を見直してみるのも良いのではと思います。


おわりに

精強とされた井伊家の行列が、18名の浪士(うち1名は薩摩藩士)に主君の首を奪われた「桜田門外の変」は、幕府の権威を失墜させる結果となり、以後、歴史は急速に倒幕から明治維新へと進んでいきました。磐石とされた大企業が、不祥事による綻びから、あっという間に崩壊してゆくケースもこれと同じかもしれません。

豪徳寺にある直弼公の墓
(筆者撮影)

司馬遼太郎に『桜田門外の変』[14] 司馬遼太郎『幕末』文藝春秋のうちの一編。という小品がありますが、その末尾にはこんな一文が添えられてあります。

この事件のどの死者にも、歴史は犬死をさせていない。

桜田門を訪れ、豪徳寺の直弼公の墓に詣でつつ、「この事件もビジネスの教訓にはなるなぁ」と思いつつ、今回は筆を置くことにします。拙文が少しでも皆様のお役に立てば幸甚です。

では、皆様ご機嫌麗しく。

References

References
1 彦根藩2代藩主の井伊直孝が門前を通った際、一匹の猫に境内に招かれた(と思った)ことにより、雷雨を凌ぐことが出来たことに由来します。
2 同名のチョコレートメーカーであったキャドバリー家の出身。後にキャドバリーシュウェップス社の会長を務めました。
3 1992年、多発する企業の不祥事に鑑みて公表されたコーポレートガバナンスに関する報告書。
4 前述の報告書にある「最善慣行規範」の示すところです。
5 会社法(362-2)が、業務執行の決定を取締役会の仕事にしているので、無理もない話なのですが。
6 「伊藤レポート」p.6。
7 本来、取締役会における一票は平等であるはずです。
8 安倍政権時代の2014年から、関連する取り組みが進められています。
9 2022年末現在、取締役会のある会社は3名以上の社外取締役がいなければなりません。
10 コーポレートガバナンス改革で、監査等委員会設置会社など新しい会社の形が認められています。
11 1961年生まれ。2014年からゼネラルモーターズのCEOを務めています。もちろん女性です。
12 会社はそのステークホルダー(利害関係者)のために経営されるべきという考え方から来ています。
13 蛭田旭化成元社長。日本経済新聞 2017年10月16日付。
14 司馬遼太郎『幕末』文藝春秋のうちの一編。

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