葉山物語(その1)

はじめに

今は昔、私が小学生だった1960年代、夏休みは逗子の親戚の家で過ごすのが楽しみでした。叔父は米軍関係の仕事をしていたので英語に堪能、遊んでもらったお兄さんたちはいわゆる湘南ボーイ。英語の面白さを知り、外国のポップスの歌い方を覚え、ギターの弾き方まで学んだのが夏の思い出です。当時は、海水浴ブームでビーチはきょうびのディズニーランドみたいな賑わい。こんなところでどうやって泳いだのだろうと思います。

海水浴全盛時代(60年代)の湘南海岸
(読売新聞のWeb Site 2018年7月7日付)

海水浴ブームが下降を始めた70年代、一とき私の足もこの地から遠のきますが、鈴木英人氏[1] 逗子在住。初期の「デニーズ」のメニューの表紙を覚えておられる方も多いのでは。のイラストに惹かれた80年代、映画の『稲村ジェーン』[2] 監督は桑田佳祐氏。60年代半ばのこの辺りの雰囲気がよく出ていて、子供の頃を思い出します。が登場した90年代になると、この辺りの人気が再燃、私も自慢のナナハン[3] 750ccのバイクのこと。当時、これに乗れるのは国の試験場で「限定解除」を受けた人のみでした。を駆って、国道134号線[4]大磯から横須賀に至る湘南海岸に辿るルート。夏はクルマが渋滞しますが、バイクならなんとか。沿いに出没し始めました。

恥ずかしながら当時の筆者の姿
(バイクは Honda の CB750K2)

その当時の会話。

「チャヤで食事しようよ」

「ダメダメ、あそこは敷居が高そうで入りにくいよ!」

「チャヤ」というのは、葉山の海際にあるフレンチのお店のこと。イキがっているナナハンライダーもここに入るのはちょっと怖かった。

敷居が高そうだった「チャヤ」の夜景
(筆者撮影)

というわけで、今回は私が子供の頃を過ごし、青春時代にバイクで走り回り、きょうびは海辺に小さな家を借りて過ごす町、神奈川県の葉山についてのお話(その1)です。こうした遊び心も大切なビジネスパーソンの教養の一つ。

今回もしばしのおつきあいをお願い申し上げます。 

日影茶屋のこと

「チャヤ」の起源は、鐙摺[5]「あぶずり」と読みます。馬具である鐙を擦るほど細い道であったのでは。のバス停のちょっと先にある日影茶屋という老舗の料亭。創業はなんと江戸中期、当時は旅人に茶や団子をふるまう文字通りの「茶屋」であったそうです。原由子さんの唄う『鎌倉物語』に登場するあの「日蔭茶屋」[6]歌詞の方は日「蔭」茶屋で、料亭の名は日「影」茶屋。因みに発音は「ひかげちゃや」です。ですね。

日影茶屋
(筆者撮影)

この老舗、とても先進的な経営をされており、私が縁遠くなっていた70年代、近くに洋菓子店「ラ・マーレ・ド・チャヤ」を開店、その先の海際に、私には敷居が高かった、レストラン「マーレ・ド・茶屋[7]現在の店名は「ラ・マーレ」。私はカジュアルな一階のテラスが好きです。をオープンします。こうした経営のエンジン役が、当時の社長であった角田雄二氏。

時代が飛びますが、2010年代の半ば、ロサンゼルスに出張した私は、和食が恋しくなり「どこかにあるだろう」と高を括ってオフィスを飛び出すと、何とすぐ近くに「Chaya」のサインが。「ここ、あのチャヤ?」とランチを頬張りながら尋ねると、返ってきた答えは「Yes」。この時、既に雄二氏は西海岸にいくつかの店を作っていたそうで、私は「ここにもチャヤか。でも、敷居は高くない!」と感服した次第。

私が飛び込んだ Downtown の Chaya
( JTBのWeb Siteより)

その雄二氏ですが、店を作っただけではなく西海岸でハワード・シュルツ氏[8] … Continue readingと掛け合って、スターバックスを日本に誘致するきっかけを作っています。そして、スターバックス・ジャパンの設立後はそのCEOに就任。

ところで、雄二氏がシュルツ氏に出した手紙には「(スターバックスの)コーヒーに比べ、食べ物は改良の余地がありますね」[9]橋本龍夫『日本スターバックス物語』早川書房、2015。と書いた由。私もかなりのスタバファンですが、シナモンロールしか食べないので、この一文には多少とも頷いてしまいます(失礼)。

日影茶屋のような老舗の経営にはこんな意見もあります。「生き残っている日本の企業は、事業内容の変更をせずに済んだ企業。食に関する老舗が多いのは、テクノロジーの変化が遅く、企業としての基本的な価値が不変だから」[10]小幡績 慶應義塾大学 准教授 東洋経済 Online 2022年8月6日付。一部編集。こんな視点から考えると雄二氏の発想や行動はかなり思い切ったものと言えますね。

雄二氏ですが、元の姓は鈴木で、鈴木家から日影茶屋の創業家、角田家に婿養子として入られた方です。そして、その令弟が鈴木陸三氏。スターバックスの誘致もこのお二人の協力の成果であったようですが、この鈴木ファミリー、素晴らしい事業人が誕生する家なのです。


スーパー、スズキヤ 

逗子や葉山でに日用品が必要になると、まず立ち寄るのが「スズキヤ」というスーパーマーケット。雄二氏、陸三氏の祖父が創業した老舗で、1957年にスーパーへと業態転換を図ったのが厳父の道雄氏です。私が生まれた頃ですから、日本にスーパーなんてほとんどありません[11]本格的なスーパーの誕生は1956年に小倉に誕生した「丸和フードセンター」とされますから、その翌年にスーパーにするというのは早い!。道雄氏の先見の明に驚くばかり。

そして、陸三氏の作ったサザビーリーグという会社は、アフタヌーンティー、アニエスベー、最近ではハンバーガーのシェイクシャックなど、海外の面白そうなブランドを次々と日本に持って来てくれる企業です。もちろん、この方も、厳父の道雄氏や令兄の雄二氏に劣らず、進取の気象に飛んだ事業人。

面白いのは、この陸三氏、当初は株式を上場していたサザビーリーグを「(上場の株式会社では)手続きの間に時間が経ってしまって、考えていたことがもう古くなってしまう」[12] Web Site 「News Picks」のインタビュー(2015)より。として、MBO(経営者による自社株式の買収)で買い取ってしまったところ。いわゆる昭和の「シャチョウ」[13] 従業員に「取締役と経営者の違い」を明確に説明できない人のことを言います。には中々できない行動です。

私の専門は企業統治論ですが、簡単に言えば、株主の代表である取締役(会)が監督することで、経営者の暴走を防ごうとするシステムの研究です。そんな研究をしながら思うのですが、社会への影響度の高い大企業ならともかく、小さな企業まで株式会社にして[14] … Continue reading、経営者を必要以上に監督したり、意思決定のプロセスを複雑にするようなことをすれば、スピードや小回りが「売り」の小企業の特性を殺してしまうように思います。

ですから、「手続きをしている間にアイデアが古くなる」という陸三氏のお気持ちがよくわかります。

ところで、逗子駅前のスターバックスは、あまり見かけない「チャヤ」との複合店。そして、この店が入っている建物はスーパーマーのスズキヤです。ここで、スタバのカフェラテと(シナモンロールではなく)日影大福を一緒に楽しみながら、逗子や葉山の歴史やここに住む人たちついて考えてみるのはとても楽しいもの。

「どうして、こんな事業人がここから出るのだろう」との想像が膨らんで、鈴木ファミリーの進取の気性に敬意を表しつつも、この土地の環境が、そこに暮らす人々に与える影響について考えてしまいます[15]このあたりは、「その2」以降で、関連の本をご紹介しつつ詳しくお話しできればと思っています。

逗子駅前のスターバックス+チャヤ
(筆者撮影)

おわりに

私にとっての葉山は「ユージローが遊んでいるぞ」[16]『太陽の季節』とか『狂った果実』のファンが言っていたような気がします。と教えられた大人の町でした。「虫取りに行ったあじさい公園の辺りには、ガイジン専用のホテルがあったはずだ」と聞かされ[17] 柳沢光二『葉山にて− 絵葉書の中の葉山』用美社という本によれば、ここには「平山ホテル」という外国人向けの保養所があったそうです。、「ガイジンとはどんな連中なのか?」と悪ガキでグループを作って、山を越え池子の米軍弾薬庫の森に忍び込む画策までしたのもこの土地です。そして、大人になっていく頃にバイクで走り回ったのも逗子や葉山の道。

そんなことを思うと、事業人として海外で働くことに憧れ、少なからずそれを叶えることが出来た自分の人生にも、この地の雰囲気の影響があるような気がしてきます。

ラ・マーレのテラスから眺める夕焼け
(筆者撮影)

葉山、逗子をお訪ねになる機会がありましたら、海あかりのする青い空の下で、或いは、富士山の映える夕焼けを見ながら、人間を育てる環境というものをちょっと考えてみるのも面白いかもしれません。

いずれ、葉山物語「その2」も書いてみるつもりです。

それではご機嫌麗しゅう。

References

References
1 逗子在住。初期の「デニーズ」のメニューの表紙を覚えておられる方も多いのでは。
2 監督は桑田佳祐氏。60年代半ばのこの辺りの雰囲気がよく出ていて、子供の頃を思い出します。
3 750ccのバイクのこと。当時、これに乗れるのは国の試験場で「限定解除」を受けた人のみでした。
4 大磯から横須賀に至る湘南海岸に辿るルート。夏はクルマが渋滞しますが、バイクならなんとか。
5 「あぶずり」と読みます。馬具である鐙を擦るほど細い道であったのでは。
6 歌詞の方は日「蔭」茶屋で、料亭の名は日「影」茶屋。因みに発音は「ひかげちゃや」です。
7 現在の店名は「ラ・マーレ」。私はカジュアルな一階のテラスが好きです。
8 1953年生、ゼロックスの営業マンやコーヒー機器の販売部長から、スターバックスに転職。独自の観点で業容を拡大する。現在は経営から退き、大統領選への出馬準備をしているとか。
9 橋本龍夫『日本スターバックス物語』早川書房、2015。
10 小幡績 慶應義塾大学 准教授 東洋経済 Online 2022年8月6日付。一部編集
11 本格的なスーパーの誕生は1956年に小倉に誕生した「丸和フードセンター」とされますから、その翌年にスーパーにするというのは早い!
12 Web Site 「News Picks」のインタビュー(2015)より。
13 従業員に「取締役と経営者の違い」を明確に説明できない人のことを言います。
14 上場をしないのであれば、株式会社であっても取締役を「身内」で固めれば、自由な経営は可能です。その場合はカタチだけのヘンな株主総会が開かれますが。
15 このあたりは、「その2」以降で、関連の本をご紹介しつつ詳しくお話しできればと思っています。
16 『太陽の季節』とか『狂った果実』のファンが言っていたような気がします。
17 柳沢光二『葉山にて− 絵葉書の中の葉山』用美社という本によれば、ここには「平山ホテル」という外国人向けの保養所があったそうです。

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