淇園先生のこと(その2)

人物

さて、「その1」では、習字塾での淇園先生との出会いから、ビジネスの支援やラブレターのような書画へと話を進めてきました。ここからは、教養に溢れる淇園先生が本領を発揮する話。

『ひとりね』

淇園先生には、21歳の時に書いた『ひとりね』というエッセイ集があります[1]1720年代半ばに書かれましたが、自身の書いたものは現存せず写本のみが残っています。。書画の話から、和歌・俳句、哲学、市井のゴシップにまで及ぶ読みごたえのある一冊。ただし、エッセイの半分以上は女性の話で、書きぶりがキワドすぎてここにはとても載せられないものもあります。

女性の話を無難にまとめるなら、素人の女性と「女郎さま」のボディ・ケア比較論。先生は一般の女性を「地女(ぢおんな)」として、ちょっと見下して描く一方、「女郎さま」には「さま」まで付けてほめまくります。技芸、教養を身につけた太夫クラスの女性でしょう。その内容は・・・。

伝 柳沢淇園『藤棚に小禽』(一部)
Web (大北京商事)に出品されていた

作品。欲しかった!

地女はジメジメして臭いが抜けきらず、呼吸器や肺をただれさせるそうです[2]『ひとりね』11段。以下「段」の番号は『日本古典文学大系96 近世随想集』の記述によるものです。。ヒドい表現ですが、当時の衛生状況を考えるとこれが普通であったのかもしれません。一方、女郎さまは「音もなく香りもなく」天に住む人のようで、心がときめくだけでなく、目の病を癒し、二日酔いも覚ましてくれるとのこと[3]『ひとりね』11段。この段の原文は特にキワドイので、抑えた訳文にしてあります。。病気まで治すというのはどうかと思いますが、当時、ボディ・ケアをきちんとしていたのは、女郎さまだけであったのでしょう。

男性にも手厳しい。「風呂には毎日入るべし。うがいは日にいくたびもすべし。書を読み、つくへに向かふ輩は、手を洗ふ事専一にすべし」、さらに「身ぎれいなる人と思わるるは」イメージアップになる、とします[4]『ひとりね』21段。「イメージアップになる」の原文は「其身の浄め也」。。これは今日にも通じますね。ある女郎さまも「きつい体臭と、嫌な口臭さえなければ、おつきあいだけはします」[5]『ひとりね』30段。原文は「男にわきがと口中とさへなければ、つとめいたします」。と言っているそうです。

淇園先生は、「ととさまとかかさまとの面白がって出来し拙者たるもの」色事からは離れられないと開き直りつつも[6]『ひとりね』8段。、色事は、女郎さまと語り、床に入るその時だけを愉しむものであって、愛だの恋だのと後を引くような態度は「(色事とは)似たやうにて似ぬ事」[7]『ひとりね』82段。テレビの時代劇は色事をドロドロさせすぎかと。ときっぱり否定。このあたり、まさに遊びの達人の境地ですね。

ここはいくらでも書いてしまいそうなので、一先ずこのあたりにしておきましょう[8]もっとお知になりたい方は、『日本古典文学大系90 近世随想集』岩波書店を。

淇園先生、頑張る

淇園先生の家は彼の青春時代に栄華を極めましたが、庇護者であった将軍の徳川綱吉、側用人柳沢吉保が没した後は大和郡山へと移されてしまいます。世の中も、元禄バブルが去り引き締めの時代に入っていたのでしょう。先生が『ひとりね』を書いたのもこの頃。楽しかった青春の日々を思いつつ、「学問など好きな女郎さまの下着と取り替えたい」[9]『ひとりね』8段。「今二十一の時の暮まで覚へし学文、惚れし太夫の下帯とつりかへに仕たし」。とちょっとクサった様子もみせています。さらに、その5年後、25歳の時には「仕事の実績もなく未熟な行いをくり返している」[10]中村幸彦『ひとりね(解説)』 より。原文は「不行跡未熟之儀相重」。として「柳沢」の姓を取り上げられ、年俸も減らされてしまいます。

それでも、淇園先生は人生をあきらめることなく仕事に励んだようで、「その1」でご紹介した「播州但馬通船計画」への援助は晩年の仕事です。柳沢姓にも復しました。ただし、白髪になってから「もっと遊んでおけばよかった」みたいな人生を嫌った先生のこと[11]『ひとりね』18段。正装してトイレに行くような生真面目さでは、学問は覚束ないと言っておられます。 、遊びを止めて仕事だけに打ち込んだりなどせず、書画も晩年に傑作を多く残しました。恋文の書かれた「蘭花果実図」も40代後半以降の作品ですし、下の絵で居眠り(ひとりね)をする青年は、楽しかった青春時代を懐かしむ自分の姿を描いたものかもしれません。

『睡童子図』(個人蔵)

おわりに

さて、習字の塾の思い出から、話がずいぶんと広がってしまいましたが、最後も字の話にして筆を置くことにしましょう。

字を習う場合、お手本に似せようとして書くのはまだまだ。よく書けるようになると、字のことなど考えないし、上手いとか下手などと思わずとも不思議と字が自然に書けるようになるもの(其内に天然と妙成所有)。身につくとはそういうことで、つくろったものはいつか消えてしまいます[12]『ひとりね』139段。一部編集。

こう述べた淇園先生が線など引いているはずはありません。そして、ここまで書いて思うのは、習字の塾に通った頃から今に至るまで「やはり淇園先生には敵いませぬ」ということかと。

それでは、皆さま、ご機嫌麗しく。



References

References
1 1720年代半ばに書かれましたが、自身の書いたものは現存せず写本のみが残っています。
2 『ひとりね』11段。以下「段」の番号は『日本古典文学大系96 近世随想集』の記述によるものです。
3 『ひとりね』11段。この段の原文は特にキワドイので、抑えた訳文にしてあります。
4 『ひとりね』21段。「イメージアップになる」の原文は「其身の浄め也」。
5 『ひとりね』30段。原文は「男にわきがと口中とさへなければ、つとめいたします」。
6 『ひとりね』8段。
7 『ひとりね』82段。テレビの時代劇は色事をドロドロさせすぎかと。
8 もっとお知になりたい方は、『日本古典文学大系90 近世随想集』岩波書店を。
9 『ひとりね』8段。「今二十一の時の暮まで覚へし学文、惚れし太夫の下帯とつりかへに仕たし」。
10 中村幸彦『ひとりね(解説)』 より。原文は「不行跡未熟之儀相重」。
11 『ひとりね』18段。正装してトイレに行くような生真面目さでは、学問は覚束ないと言っておられます。
12 『ひとりね』139段。一部編集。

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