桜田門外のコーポレートガバナンス(その1)  

人物

はじめに

突飛なタイトルをつけてしまいましたが、今回はビジネスに関する話です。

ちょっと昔の話ですが、毎月のように、「アクティビスト」とか「物言う株主」(株主が意見をいうのは当然なのですが)とされる人たちと「対話」をしていた時期があります。自分のいた会社の方針や組織体制についての意見交換が目的ですが、よく飛び出したコメントにこんなものがありました。

日本でもらう名刺には、代表取締役社長という肩書きがついた人が多いが、あれは「俺に文句を言う奴はいない、俺は独裁者なのだ」と自慢するための名刺なのか?

イヤミな質問です。しかし日本の会社の課題を突く指摘でもあります。

社長は経営のトップで、社長の仕事をチェックするのが取締役会、というのが英米の投資家の認識。社長と取締役の代表が同じ人物、つまり、代表取締役社長では、社長を牽制するシステムがありません。経営は社長の思いのままですから、代表取締役社長という肩書きは独裁者ということになってしまいます。

こちらが「監査役がブレーキをかけるさ」とコメントしたところで、「日本の会社では監査役に(取締役会での)投票権がないじゃないか」[1] … Continue readingと反論されるし、「日本の経営者は倫理観がしっかりしている」と主張しても、「それにしてはトップの不祥事も多いようだが」[2] 2000年代の三菱自動車のリコール隠し、2010年代のオリンパス事件や、大王製紙会長の会社資金の不正流用事件などのことでしょう。と、イヤミなコメントを連発されてしまいます。

コーポレートガバナンスについて

私が研究しているコーポレートガバナンスというのは、この問題にどう対応するかを考えることが目的です。すなわち、一人に権限が集中しても、その状態が問題を起こさないような株式会社のシステムを考えることです。これもビジネスパーソンの教養の一つ。前述のアクティビスト氏は「日本の会社にそんなシステムはないじゃないか!」と暗に批判をしているわけです。

ある新聞に、大企業の代表取締役社長が、その夫人にこんな頼みごとをしているとの記事がありました。

俺がボケたら「『あなた最近おかしくない?』と言ってくれ」と女房に頼んであるんだ。会社では誰もそんなことを言ってくれないからね」。

コーポレートガバナンスという面で見ると、この会社で社長への権限集中が問題になった場合、対処できるのはその夫人だけです。しかし、ご夫人は社員でも従業員でもありませんから、この会社内には権力者を牽制するシステムは存在しないことになります。

武士の世であれば「殿をお諌(いさ)め申してくる」と名乗り出る家臣がいたかもしれませんが、家臣は命がけです。今日であれば「解雇や左遷も覚悟で助言する」という従業員がいるかどうかですが、大方は「社長が代わるまでの我慢」と観念して、じっと耐え忍ぶのが実状ではないかと思います。

ただし、荒技ですがクーデターという手があります。80年代の「三越事件」[3] 1982年、三越で独裁的な経営を行った岡田茂社長が取締役会で、突然社長を解任された事件。やスティーブ・ジョブズの解任劇[4] 1985年、業績不振のアップル社取締役会は、創業者のジョブズ氏を業務から解任することを決議。2000年代であればクックパッドの秋田CEOの退陣[5] 2016年、クックパッド取締役会は、同社を成長させた穐田誉輝CEOの降格を決議、同氏は後に退社が、ビジネスのクーデターかもしれませんが、これとて仕掛け人は一般の従業員ではなく実力者。草莽の志士、今日なら、従業員が団結して独裁上司を引きずり降ろすというのは大変なことです。それでも、古今を通じてであれば、実例がないわけでもありません。幕末の事件ですが、世にいう「桜田門外の変」もその一つでしょう。

代表取締役社長 井伊直弼

徳川幕府というのは300年も続いたわけですから、組織のガバナンスという意味では優れた部分があります。その一つは、特定の人物に権限が集中しないようにする配慮で、要職の「長」を複数にして、独裁の弊害を事前に防止するようにしていました。北町奉行に遠山の金さん[6]遠山景元(1793-1855)。北町と南町両奉行を務めた唯一の幕臣です。がいれば、南町奉行にはナニガシがいて、江戸の治安維持には両者の当番制[7] 北町、南町は地域の分掌のことではなく、両奉行が輪番制で同じ仕事をしています。で当たっていたし、政権の中枢部でも閣僚である老中職には4~5名が任命され、こちらも月ごとの交代制で仕事をしています。重要な決裁事項がある場合は老中全員の合議で決済をしていました。意思決定のスピードを欠いたり、責任の所在が曖昧になるという問題はあるにせよ、一人に権限を集中させないという点ではよく考えられたシステムです。

ただし、例外がありました。大老という職制の存在です[8] 老中首座という職制もありますが、大老ほどに権限を持ってはいません。。大老には一名しか任命されません。当初は名誉職でしたが、場合によっては、重要課題を素早く解決しようとの配慮から大老に権限を集中させることがありました[9] 大老に任命されたのは13名、そのうち在職中に殺害されたのは直弼を含め2名です。

そのケースが当てはまるのが井伊直弼です。当時の幕府は、通商問題、将軍の後継問題などで意見が割れ政党の対立のような様相を呈していますが、今日にように「総選挙で決めよう」というわけにもいかず、両派の相克は沸騰寸前に達していました。両派が大老を立てようとする政争の中で、開国を主張する南紀派[10] … Continue readingが優位に立ち、その代表として直弼が大老に就任します。

当然、直弼には権限が集中します。今日のビジネスでも、創業者や、中興の祖などとされる人は、大方、独裁者です。確かに、権限の集中が必要な状況というのは存在しますし、その意味では、非常の職として大老を想定したことは賢明な措置かもしれませんが、問題はこれが「諸刃の剣」であることです。一人に権限が集中してしまうと組織内の牽制機能が麻痺してしまい、独裁が組織の弊害になるのを止めることができません。「直弼の上に将軍がいるじゃないか」とのご意見があるやもしれせんが、当時の将軍、徳川家定は病弱、次の家茂も13歳で就任も直弼の引き立てによるものですから、ブレーキにはなりません。

同じ徳川将軍でも、創業者にあたる家康や、中興の祖になる「暴れん坊」吉宗などは独裁者将軍といっても良い存在ですが、この家茂や先代の家定は、いわばカタチだけの将軍[11] 家茂の後は「家康の再来ではないか」と長州に恐れられた切れ者、最後の将軍となる慶喜です。。会社であれば、創業家の血筋を引くというだけのお飾り会長といったところです。

こうして直弼はほぼ独裁者としての権限を手にするのですが、それでも、任期を設けるとか、大老の弾劾裁判制度を作るとかしてリスク対応はできなかったのか。後知恵であればなんでも言えるのですが・・・

井伊直弼
狩野永岳筆 彦根博物館蔵
(1815 – 1860)

権限を一手におさめた独裁者、今日でいえば、代表取締役社長のような 井伊直弼。彼の大老就任がどんな事態を引き起こしたかについては「その2」のお楽しみということで。今回はここまでとさせていただきます。

では、ご機嫌うるわしく。


References

References
1 監査役会設置会社の場合。東証プライムでは96%、スタンダードでは99%がこのタイプの会社です。監査役に調査権はあっても、取締役会で賛否の一票を投ずることはできません。
2 2000年代の三菱自動車のリコール隠し、2010年代のオリンパス事件や、大王製紙会長の会社資金の不正流用事件などのことでしょう。
3 1982年、三越で独裁的な経営を行った岡田茂社長が取締役会で、突然社長を解任された事件。
4 1985年、業績不振のアップル社取締役会は、創業者のジョブズ氏を業務から解任することを決議。
5 2016年、クックパッド取締役会は、同社を成長させた穐田誉輝CEOの降格を決議、同氏は後に退社
6 遠山景元(1793-1855)。北町と南町両奉行を務めた唯一の幕臣です。
7 北町、南町は地域の分掌のことではなく、両奉行が輪番制で同じ仕事をしています。
8 老中首座という職制もありますが、大老ほどに権限を持ってはいません。
9 大老に任命されたのは13名、そのうち在職中に殺害されたのは直弼を含め2名です。
10 南紀派は開国、将軍の継承は血筋を重視する幕臣(官僚)が中心、一方の一橋派は(一応)攘夷、継承は能力重視とする、譜代大名(政治家)が中心と考えればわかりやすいかも。
11 家茂の後は「家康の再来ではないか」と長州に恐れられた切れ者、最後の将軍となる慶喜です。

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